2024.09.17
労務デューデリジェンス(労務DD)とは?目的・調査事項などM&Aを成功させる労務DDについて弁護士が解説!



古山 雅則
弁護士企業は、事業拡大を目的として、あるいは事業承継対応等として、M&A(Mergers and Acquisitions/合併・買収)を行うことがあります。特に中小企業では、後継者不在による事業承継問題に対する解決策として、M&Aという手段が選ばれることが増えています。
このM&Aというのは、一言でいえば企業買収です。ある企業(人のこともあります。)が、ある企業を買うということです。大きな買い物ですから、イメージしていたものと違った、などという間違いがないようにしなければなりません。このため、取引を行うにあたり、買収する側においては、買収対象企業や取引に何か問題がないかを事前に精査するデューデリジェンス(Due Diligence)を行うことが推奨されます。
この記事では、デューデリジェンスのうち労務に関するデューデリジェンスについて、虎ノ門法律経済事務所の弁護士が詳しく解説します。労務デューデリジェンスが必要な理由や、その内容、検討事項、デューデリジェンスの手順など、M&Aをご検討の企業様に、有益な情報を提供します。
1 労務デューデリジェンスとは?
まずは、労務デューデリジェンスとはどのようなものなのか、人事デューデリジェンスや法務デューデリジェンスとの違いや関係などについてご説明します。
(1)デューデリジェンスとは
デューデリジェンス(Due Diligence/略してDD)とは、一般にM&A(企業買収)の際に行われる買収監査のことをいいます。主として買い手側企業が、買収取引の過程のなかで、買収対象企業の企業価値や潜在リスクなどを調査・検討することが典型的なデューデリジェンスです。
なお、株式公開(IPO)における監査などにおいてもデューデリジェンスとの用語が用いられることもありますが、ここでは、最もオーソドックスといえるM&A(企業買収)の際に行われる買収監査を念頭において解説をしていきます。
(2)労務デューデリジェンス
デューデリジェンスにおいて、特に労務分野に関するデューデリジェンスを労務デューデリジェンス(労務DD)といいます。労務DDでは、労働契約の内容や実態を中心に、雇用に関わるコンプライアンス上の問題や潜在債務の有無等を調査・検討することになります。
たとえば、典型的な潜在債務として、未払残業代というものがあります。意図的に残業代を支払っていないような悪質な企業は論外ですが、従業員を大切にしている真っ当な企業であっても、不本意ながら残業代の未払問題が生じてしまうことは往々にしてあります。
これは、法律が求めるとおりの労務管理ができていないケースや、残業代の計算方法や支払方法を誤ってしまっていることなどに起因して生じてしまう問題ですが、買収対象企業側に残業代未払の認識はないため、隠れた債務となっている可能性があります。
こうした雇用に関わる潜在債務の有無やその金額規模、あるいは過重労働の有無や必要な労使協定が整備されているかなどのコンプライアンス上の問題等について調査検討することが労務DDとなります。
(3)人事デューデリジェンス
デューデリジェンスのうち、人事に関する事項についてのデューデリジェンスを特に人事デューデリジェンス(人事DD)と呼ぶことがあります。
人事デューデリジェンスでは、主に人事制度の設計内容や運用状況、賃金体系や福利厚生、あるいは買収対象企業のキーパーソン等の人物評価などが行われます。
人事DDは、労務DDとは別に行われることもあれば、人事労務DDとして労務DDと一括して行われることもあります。あるいは、ビジネス上の視点から、ビジネス上のデューデリジェンスの一環としてコンサルティング会社などが行うこともあります。
どのようなDDを実施するかは依頼主である買い手企業の意向次第ではありますが、単に労務DDという場合は、人事制度が買収対象企業のビジネスや経営に与えている影響等のビジネス視点での調査・検討は含まれないことが一般的です。
(4)法務デューデリジェンス
デューデリジェンスのうち、法務に関する事項についてのデューデリジェンスが法務デューデリジェンス(法務DD)です。法務DDでは、会社組織や株式、不動産や知的財産権など、様々な事項に関して、買収目的を阻害する法的問題点の有無、あるいは買収対象企業の企業価値や買収後の事業計画に影響を及ぼし得る法律上の問題点の発見等を目的として法的観点から調査・検討が行われます。
法律上の問題点の対象には、労務に関する事項も当然含まれます。このため、法務DDには労務DDが含まれるといえ、法務DDの一環として労務DDが行われることが一般的です。
他方で、労務については、専門性が高く、また検討対象となる領域も幅広いことから、買い手企業において重点的・専門的に労務監査を行うことを望むことがあります。この場合、法務DDから切り分けて、労務DDとして独立して労務に関する調査・検討を行うことがあります。
そして、近年、労務に関するデューデリジェンスは、法務DDにおいても重要度が高まっており、労務DDとして独立して重点的・専門的に行う必要性が高まっています。
2 労務デューデリジェンスが必要な理由
それでは、なぜ今、労務DDを重点的・専門的に実施する必要性が高まっているのでしょう。
これには、社会的背景や法改正、雇用環境(労働者の意識)の変化などが関わってきます。
(1)労務コンプライアンス違反に対する厳しい視線
労務に関するコンプライアンスに対してどのように取り組んでいるのかといった企業のコンプライアンスに対する姿勢について、企業は労働行政や社会から以前にもまして厳しい監督を受ける時代になりました。また、働き方改革、ワークライフバランス、パワーハラスメント(パワハラ)、過労死など、近年、労働・雇用にまつわる話題や事件が毎日のようにニュースを賑わしており、労働・雇用分野に対する社会の関心の高さがうかがわれます。
こうしたなか、2015年に起きた「電通事件」は特に大きな社会的影響を与えるものでした。この事件は、大学を卒業して新入社員として株式会社電通に入社した女性社員が、入社したその年の12月、過重労働等に起因して自殺に追い込まれたという悲痛なものでした。
この事件を契機として、長時間労働に対する、より本腰を入れた厳しい規制と批判が向けられるようになりました。この事件では、労基法違反による書類送検が行われたほか、社長が引責辞任する事態にもなっており、以降、これまで軽んじられがちであった労働法規に対するコンプライアンスの重要性が社会的に大きく認識されることになったといえるでしょう。
その他にも長時間労働による過労死やパワハラなど、様々な企業で労働に関わる深刻な問題が起きています。そして、この労働法規のコンプライアンス違反については、刑事上も民事上も、あるいは社会的な評価としても、経営に大きな影響を与えるということを経営者は認識しておく必要があります。
(2)潜在債務が多額に上るリスク
労務に関する潜在債務の代表的なものに未払残業代(割増賃金)があります。この割増賃金は、長時間労働が行われがちな事業所などでは時間数に応じて金額が大きくなりますが、法改正により、その金額がさらに膨れ上がりやすくなりました。
また、業務に起因して従業員が傷病等を負った場合に、企業は損害賠償請求を受ける可能性もあり、傷病の程度によってはその金額が多額に上る恐れがあります。
(ア)60時間超えの時間外労働の割増率が2倍に
使用者は、時間外労働(1日8時間、1週40時間の法定労働時間を超える労働。)や休日労働を従業員にさせた場合、基礎賃金に法定の割増率以上の割増率を乗じた割増賃金を支払うことが義務付けられています(労基法37条)。一般に「残業」と呼ばれる時間外労働の場合の法定の割増率は、これまで25%でした。
ところが、1か月の合計が60時間を超えた時間外労働が行われた場合、この割増率は、2023年4月1日より、50%へと倍に引き上げられました(なお、大企業は2010年4月1日から割増率の引き上げが適用されています。中小企業においてはその適用が猶予されていましたが、働き方改革関連法による労基法改正により猶予措置が廃止されました)。
つまり、企業は、1か月60時間以上の残業をさせた場合、その60時間を超えた時間外労働に対しては、通常の賃金の1.5倍の割増賃金を支払うことが必要となりました。
長時間労働が発生しがちな事業所では、割増賃金の金額上昇に伴う総人件費負担が増えることになりますので、長時間労働の是正や人員配置の見直し等の抜本的な対応が必要となるかもしれません。
(イ)賃金請求権の時効が3年に延長
残業代請求権という賃金の請求権は、これまで2年で時効により消滅することとなっていました(改正前労基法115条)。つまり、未払残業代があったとしても、企業は2年分を超える請求を受ける恐れはなかったことになります。
ところが、民法の改正に伴い、2020年に労基法が改正され、賃金請求権の消滅時効が3年へと伸長されることとなりました(労基法115条、労基法附則143条3項)。したがって、2020年4月1日以降に発生する賃金の消滅時効は3年となっています。
この労基法改正は、企業にとっては非常にインパクトがあります。2年分に限定されていた残業代請求権が3年分へと増えるわけですから、単純に潜在債務が従来の1.5倍の規模となる可能性が出てきました。
未払残業代の問題は、ますます企業にとっては大きな財務リスクとなったといっていいでしょう。
(ウ)安全配慮義務違反に対する損害賠償請求
業務上の事由により従業員が負傷し、疾病にり患し、障害を負い、あるいは死亡した場合、労働者災害保険法(労災保険)による保険給付がなされます。使用者である企業は、労災保険法上の労災保険給付がなされた場合、その給付がなされた限度で損害賠償の責めを免れることになります(労基法84条参照)。
他方で、労災保険給付では対象外となっている損害がある場合や、労災保険給付の額では損害の填補として不十分といえるような場合、使用者は民事上の損害賠償の責めを免れることはできず、被災労働者や遺族から民法上の損害賠償請求を受ける可能性があります。
長時間労働が原因で従業員が過労死あるいは過労自殺したような場合に、使用者の労務管理が不適切であったとして、安全配慮義務違反による損害賠償請求を受けることなどが典型例です。
近年では、過重な業務やハラスメント、心理的負荷の高い業務に従事したことによって精神障害を発症したと主張される事件が多発しており、自殺等の重大な結果が発生している場合には賠償請求額も多額に上ります。
安全配慮義務違反の有無や因果関係、損害の額等について争う余地があるとしても、従業員に生じた結果が重大である場合などは紛争自体が大きくなりかねませんので、労災事由が疑われる事案がある場合は、それだけで企業にとって大きなリスクとなります。
(3)潜在債務の顕在化リスクの高まり
このように、労働法規へのコンプライアンス違反に対しては厳しい制裁を受ける可能性があり、その場合に負う金銭的な債務も多額に上る恐れがあります。
そして、こうした潜在債務は、潜在債務のまま見過ごされることなく顕在化する傾向が強まっています。
(ア)労働者の権利意識の高まり
コンプライアンスに対する社会の厳しい姿勢は、労働者の権利意識の高まりを表しているともいえます。働き方に対する社会の考え方の変化は、労働者の長時間労働や残業代という事柄に向けられる意識をより注意深くさせたといっていいでしょう。
企業から言われたことや従来からの慣行を妄信するのではなく、企業の言動に対して疑いをもって接し、権利を権利として主張する社会へと変わってきていることを実感します。
(イ)情報化社会
今はスマートフォンで何でも調べられる時代です。インターネット上の情報をそのまま鵜吞みにすることは危険ですが、正確性を多少置いたとしてもある程度の情報は容易に取得することができます。
残業代など金銭に関係する労働問題について、労働者は使用者に比して熱心に調べる傾向が強いといえます。
(ウ)弁護士やユニオンによる支援の活発化
労働者側に立つ弁護士やユニオン等により、主として未払残業代請求の支援を行うべく、積極的な広告宣伝活動が行われています。
このため、インターネットなどで第一次情報を取得した結果、残業代等に疑問を抱いた従業員等が弁護士等へ相談することが容易となっており、実際に弁護士やユニオンによる企業に対する請求活動は活発化しています。
(エ)労働市場の流動化
終身雇用という雇用慣行は終焉しつつあり、現在では転職することが当たり前の時代になってきました。特に人手不足が著しい業界などでは、以前にも比して従業員は簡単に退職し、次の職場へと移っていく傾向にあります。
こうしたこともあり、従業員は会社に対して権利主張がしやすくなりました。会社に気を遣う必要がないためです。
権利意識の高まりとも相まって、退職従業員による未払残業代請求等が頻発しており、かつては見過ごされていた潜在債務が顕在化するリスクは非常に高まっているといえます。
3 労務デューデリジェンスのプロセス
このように、買収対象である企業に労務コンプライアンスの違反がないかどうか、あるいは潜在債務がないかどうか、ある場合の金額の規模等は、M&Aの目的を達成できるか否かを左右するといっても過言ではない重要なファクターといえると思います。
買収対象企業に労働法に関する法令違反が認められる場合、取引実行に先立ち、買収対象企業に対し法令違反の是正を求めることが必要となり得ます。あるいは、重大な法令違反の存在が明るみになった場合には、買収それ自体を断念することも検討せざるを得ないかもしれません。
取引に影響を及ぼさないような軽微な法令違反であっても、デューデリジェンスによって問題を抽出することができていれば、買収後の事業経営をより健全なものとすることに大いに役立つことになります。
また、調査の結果、潜在債務が発見されたような場合、その金額の多寡によっては買収金額に影響を及ぼすことがあり得ます。また、潜在債務の規模次第では、取引自体の障害とさえなり得るかもしれません。
それでは、こうした労働法上の問題点を発見するための労務DDがどのように実施されるか、そのプロセス概要を見ていきます。
(1)方針と対象範囲の決定
労務DDに決まった型があるわけではありません。このため、それぞれのM&Aに応じて個別に手順や調査方法、調査対象等は異なってきますが、買収企業において、デューデリジェンスに割ける時間と費用には制限があることが通常です。このため、網羅的にすべての労働法上の事項をつぶさに調査することは困難なことがほとんどといえます。
このため、労務DDにおいても、どこを重点的に調査するのか、買収対象企業の業種や買い手企業が持つ関心事項等を踏まえて大枠を決めておくことが必要です。
例えば、DD予算によっては、潜在債務の有無のみを重点的に調査することもあり得ますし、他方である程度概括的に調査をするものの、年金や社会保険関係に関する事項が調査・検討対象から除かれることもあるでしょう。
このように、労務DDにおいて何をどこまで調査するのか、方針と範囲について大枠をすり合わせておくことが労務DDを円滑に進めるうえでは必要となります。
(2)資料請求
労務DDの方針や範囲が決まったら、調査に必要な資料の開示を買収対象企業に依頼することになります。買い手企業側は資料請求リストを作成し、これを買収対象企業に送ることで買収対象企業に資料の準備を進めてもらいます。
調査資料は調査目的等により様々なものが考えられますが、例えば、未払賃金の有無を調査するために開示を依頼すべき資料は概ね次のようなものになります。
就業規則 ・ 賃金規定 ・ 退職金規定 ・ 雇用契約書 ・ タイムカード(出勤簿)
勤務シフト表 ・ 賃金台帳 ・ 従業員名簿 ・ 日報 ・ タコグラフ(社用車有の場合)
変形労働時間制や裁量労働制等に関する労使協定 など
(3)資料の検討
開示された資料に基づき、コンプライアンス違反の有無や潜在債務の有無を調査・検討していきます。
従業員の人数が多い場合は、全員分の雇用契約書や勤務状況を把握することは時間的に困難ですので、事業所ごと、あるいは部署ごとにサンプルを抽出して調査していくことが望ましいことも多いでしょう。
また、開示された資料を検討する中で、他の資料の存在が明示されているにもかかわらず開示されていない資料がある場合など、不足する資料があると考えられる場合には、追加の資料開示を請求することになります。
(4)インタビューの実施
開示された資料に対する検討を踏まえて、買収対象企業の労務担当者に対するインタビューを実施します。労務の分野では書面上に記載されていることと実態とが乖離していることは往々にしてあるため、規定どおりの運用がなされているかなどについてインタビューを実施して確認することは不可欠といえます。
インタビューに先立っては、労働法上問題となり得る事項や疑問点を整理し、質問事項をあらかじめ買収対象企業の担当者に送付しておくことが望ましいといえます。事前準備をしっかりとしてもらい、正確な回答を得られるようにします。
(5)デューデリジェンス報告書の作成
買収対象企業に対するインタビューを含めた一通りの調査を終えたら、法的問題事項についての考察を加えた労務DD報告書を作成します。
買い手企業において労務に関する問題事項を把握し、取引条件の修正等を加える必要があるのかなどについて判断ができるよう、明瞭な報告書とすることが望まれます。
この報告書に基づいて労務DD担当者は買い手企業に労務DDの結果を報告し、労務DDの作業は終了することになります。
4 労務デューデリジェンスのポイント
労働法(労働関連法規)は、労働基準法、労働契約法をはじめとして、短時間・有期雇用労働法、労働安全衛生法、労働者派遣法、最低賃金法、育児介護休業法、障害者雇用促進法、高年齢者雇用安定法、労働施策総合推進法、労働組合法、労働契約承継法など、その法令は非常に多岐にわたります。
したがって、必然的に労務DDの守備範囲は非常に広くなり、調査事項や問題となる事項も多種多様なものが想定されますが、ここでは、多くの企業で問題となりやすい特に重要な事項をピックアップしてご紹介します。
労務DDにおいては、こうした事項の調査は外せないといえるかもしれません。
(1)労働組合の同意等
買収対象企業に労働組合がある場合には、労働協約の有無や内容を確認することは必須です。
労働協約(労組法14条)では、労働条件その他の労働者の待遇など個別的労働関係について組合側の要望を反映した規律が加えられている可能性があり、あるいは、組合活動への便宜供与やそのルール、団体交渉の手続などの団体的労使関係について使用者側に何らかの義務が課せられている可能性があります。
また、書面によって正式に協約化されていない場合でも、慣行的に組合への便宜供与がなされている場合や、あるいは人事面で組合側への配慮がなされている場合もあるので、その点も注意が必要です。
出向を命じるには組合の同意が必要、人事異動をする場合には事前に組合への打診と意見聴取が必要など、企業の人事権行使に過度な制約が加えられている場合、想定していたような企業運営を円滑にできない恐れがでてきます。
(2)変形労働時間制
変形労働時間制は、一定の単位期間を定めたうえで、その単位期間の週又は日の所定労働時間について法定労働時間の規律(労基法32条、36条)を変形して配分することを認める制度です。
時期的な繁閑の波が大きいような業態では、所定労働時間を不規則に配分する方が効率的に労働力を活用できるため、この変形労働時間制を採用している企業は多くあります。この一定の単位期間としては、1か月以内(労基法32条の2第1項)や1年以内(労基法32条の4)といったものがよく使われています。
こうした変形労働時間制は、正しく活用すれば、使用者にとっても労働者にとっても有益な制度となりますが、残念ながら規定の仕方を誤っていることや、運用方法に違法性が見られることが散見されます。
例えば、1か月単位の変形労働時間制においては、不規則勤務とはいえ勤務パターンをあらかじめ定めておくことが必要です。また、勤務割表は、1か月ごとに作成し、その月が始まる前までに従業員に提示しておく必要があります。
つまり、変形労働時間制においては、所定労働日、所定労働日ごとの始業時刻、終業時刻及び休憩時間は、勤務割表によってあらかじめ特定されていることが必要となります。こうした要件を満たしていない場合、それは変形労働時間制ではなく単なるシフト制勤務に過ぎないといえるでしょう。
有効な変形労働時間制とは認められない場合、法定労働時間の変形が認められないことになりますので、原則どおり時間外割増賃金を計算することが必要となり、その結果、想定外の残業代が発生することになります。
(3)管理監督者
管理監督者には労基法における労働時間、休憩及び休日に関する規定が適用されません(労基法41条2号)。つまり、管理監督者に該当する従業員には、時間外労働に関する規定が適用されず、残業代が発生しないということになります。
この管理監督者は、行政解釈上、労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体の立場にある者の意であり、名称にとらわれず、実態に即して判断すべしとされています(昭和22年9月13日発基17号、昭和63年・3月・14日基発150号など)。
ここに管理監督者は「経営者と一体の立場にある者」とされているとおり、管理監督者の存在はある程度限定的なものであることが想定されています。労務管理に関する指揮監督権限を有しており、自身の出退勤には大幅な裁量が認められ、その地位と権限にふさわしい処遇がなされているなど「経営者と一体の立場にある者」といえるだけの要素を備えなければなりません。
したがって、単に「店長」や「部長」、「本部長」などといった役職に就いているだけでは、それだけをもって直ちに管理監督者に該当するということはできず、実態をもって判断することが必要となります。
調査期間等の限られた労務DDの中で厳密な認定をすることは困難ですが、残業代不支給の対象となっている役職者について、それが管理監督者であることを理由としている場合には、実態を踏まえてリスクを勘案する必要があります。
(4)固定残業代制
固定残業代制(定額残業代制)とは、法所定の残業代に代えて、固定額の賃金を残業代として支払う制度のことをいいます。
固定残業代制には、基本給に組み込んだ形で固定残業代を支払うものがあり、例えば、基本給30万円のうち5万円は月〇〇時間分の残業代とする、といった給与の定め方が典型です。
また、営業手当や特別手当など「○○手当」として別建てで定め、その手当が月〇時間分の残業代として支給されるものがあります。
正しく有効に活用すれば特に使用者にとって便宜のいい賃金の支払方法ということになりますが、残念ながらこの残業代として毎月定額のものを支払う固定残業代制は、裁判ではしばしば否定されているという現実があります。
それは固定残業代制度としての賃金設計の仕方が労基法に適合していないという過ちを侵していることや、設定した残業時間を超えた差額の精算をしていないという運用の誤りなどに起因しています。固定残業代の有効性が否定されてしまえば、それまで残業代として支払ってきたつもりの賃金が法律上有効な残業代ではないことになり、割増賃金をまったく支払っていないことになってしまいます。
つまり、固定残業代制度は、設計や運用を誤れば、未払残業代が非常に高額となる恐れをはらんでいるため、注意深くその内容や実態を確認する必要があります。
5 労務デューデリジェンスにおいて問題が発覚した場合の対応方法
労務DDを実施した結果、様々な労働法上の問題点が発見されることがあります。その場合、M&Aの取引において、次のような対応を取ることが検討されます。
(1)スキームの変更
M&Aは多くの場合、買収対象企業の株式を取得する株式譲渡の形式が採られます。この場合、買収対象企業そのものを買収することになりますので、買収対象企業の従業員の労働契約を含めた労働問題はすべてそのまま維持されることが原則です。
ここで買収対象企業に複数の事業部門あるいは事業所がある場合で、ノンコアである特定の事業部門や事業所においてのみ長時間労働が生じており、しかも残業代の支払が不適当で潜在債務が巨額に及ぶ恐れがある場合、その事業部門等を切り離し、他の事業部門のみを買収することが可能な会社分割や事業譲渡といったスキームに変更することが考えられます。
(2)取引実行条件の追加
取引実行日までの間に、発見された労務コンプライアンス違反等の事項について、買収対象企業に是正措置を取るよう求め、是正措置がなされない場合には契約関係からの離脱を認めるなどの条件設定が考えられます。
もっとも、軽微な違反や過小な潜在債務に対して契約破棄条項を設けることはメリットに比してデメリットが大きいといえますので、こうした条件設定は慎重に行う必要があります。
(3)取引価格の減額
未払賃金などの潜在債務が顕在化する蓋然性が高い場合には、それらの債務を買収価格に反映します。
もちろん、顕在化リスクを正確に見通すことは困難であり、潜在債務についてもそれを債務として認めるか否かについて複数の法解釈があり得るため、取引価格への反映にあたっての調整は容易ではありません。
(4)誓約と取引実行後の措置
そこで、労務DDの結果、買い手側が認識した法律上の問題事項については、買収対象企業側に表明保証させたうえで、仮に問題が現実化した場合には、その問題によって生じた費用を取引後に買収対象企業側が補償することによって対処するという取引条件の設定が検討に値します。
また、問題の顕在化リスクが相応に想定される場合には、補償金の支払いを確実なものとするために、一定期間買い手企業ないし第三者に補償金相当額を預けるエスクローを活用することも考えられます。
6 弁護士による労務デューデリジェンス
労務デューデリジェンスの担い手としては、主に弁護士(法律事務所)、または社会保険労務士が考えられます。
(1)労働法に精通した弁護士
弁護士は一般に法律のプロとはいえ、M&Aにおける法務DDのメインプレイヤーであることは間違いありません。
もっとも、法務領域には、M&A、コーポレート、各種ファイナンス、労務、不動産、知的財産権、税務、独占禁止法、事業再生など多岐にわたる業務が広がっており、それぞれが高度の知識と経験を必要とする専門性の高い分野といえます。
このため、M&Aにおける法務DDにおいても、決定されたデューデリジェンスの方針や対象範囲に基づき、ふさわしい弁護士の人選が行われることとなります。
したがって、労務の領域における労務DDにおいても、弁護士であれば良いというものではなく、労働法分野に精通した弁護士が担うべきといえます。
もちろん、一弁護士につき一分野ということではありませんので、会社法と労務、労務と不動産と事業再生など、複数の業務分野に精通している弁護士は多いでしょう。ただ、全くの畑違いの分野ですと、いくら弁護士といえ期待されたDDを行うことは難しいといえますので、労務DDにおいては労務に関する経験値の高い弁護士に依頼することが望ましいといえます。
(2)DDを扱う社会保険労務士
社会保険労務士は、主として複雑・多岐にわたる労働社会保険の諸手続きを企業に代わって行うことや、年金などの各種事務手続きを代行したりする業務を行っています(全国社会保険労務士会連合会のHPより。)。
もっとも、近年では、労務に関する指導・助言などのコンサルティング業務を担う社会保険労務士も増えてきており、M&Aにおける労務DDに携わる事務所も出てきています。
このため、潜在債務の発見などには通常裁判例等を踏まえた法解釈が必要であるため、一般論としては労働法に精通した弁護士が法務DDを担当することが適当と考えますが、労務DDに意欲的に取り組んでいる専門性の高い社会保険労務士事務所もまた、労務DDの担い手として選択肢の一つにあげられるでしょう。
7 労務デューデリジェンスは弁護士へご相談を
以上解説してきたように、買収対象である企業に労務コンプライアンスの違反がないかどうか、あるいは潜在債務がないかどうかといったことを調査・検討する労務DDは、M&A取引の過程において実施すべき重要なプロセスの一つといえます。
M&Aを成功に導くためにも、M&Aを行う際には労務DDを是非実施していただきたいと思います。
そして、その労務DDを実効性あるものとするために、労務DDは、労働法に精通した弁護士に依頼されることを強くお勧めいたします。
皆様のM&A取引が実りあるものとなりますことを心から願っています。


古山 雅則
弁護士